作者からのコメント
これは、高校生頃から疑問に想っていたことを、詩にして約1年投稿せずにいたものです。軽く詠んだ訳ではないのですが、ぼくの想像を越えてエラい騒ぎになってしまって、詠んだ本人が驚いています。どの方のコメントにも一理はあるし、賛成できる箇所も異議を唱えたくなる箇所もおひとりのコメントに同居してますので、順に感じたことを述べさせて頂きたいと想います。

>伊藤鷹彦さんはコメントがありませんでしたが、評価は頂いたと想っています。何処がとの質問はご勘弁下さい。
>れたすたれすさんの意見には、然りと想っています。ただ、赤十字を含めて好いかどうかは明確にいまはお答えできません。
>多紀さんもコメントがなかったので、間違っていたら申し訳ないのですが伊藤鷹彦さんと同じ返礼にさせて頂きます。
>十六夜KOKOさんの仰っていることを、ぼくは否定できません。逆に、その指摘にぼくが想いを馳せなかったことを自戒していま 
   す。いつか思慮を重ね一編の詩にしたいことをこころに刻みました。
>夏美かをるさんには、是非、一度お考え頂き、夏美さんならでは考えをお訊きしたいと想います。それが遥か遠い日になっても。
>そらの珊瑚さんのコメントは、一般の方々の想いにいちばん近いような気がすることと、政治家の背広に季節が来ると必ず見える
  ことを想い出しました。
>梅昆布茶さんのコメントは、とても佳い意味で理性的な考え方だと、ぼくには感じられました。
>まーつんさんは、戦争というものに対してすべてとは言いませんが、ぼくの考え方にもっとも近い思考を持っておられると、これま  
   での作品から感じていましたので、より深く詳細な考え方を知ることができたと想っています。決して尻馬に乗られたとは想って
   いません。ぼくは、いつかロボットが人間に代わり兵士になるという考え方が甘い思考だと気づかせて頂きました。ロボットででき
   るなら、その国の首相や大統領が1回限りのじゃんけんで決めることができますもんね。どちらも正しく、どちらも間違っていると
   の指摘には反論する言葉をいまのぼくは持ち得ていません。そういう意味で眼を醒させて頂いたコメントだと想っています。
>るるりらさんの意見は、ある仮定を前提のコメントですので、申し上げようがないのです。ただ、眼の前でひとがひとを殺すのを
   見てもその仮定を現実として受け止められることができるでしょうか、との疑問を抱きました。ぼくはベトナム戦争中のベトナム
   のサイゴ ンに某通信社からプレス・パスを貰い密入国で入国し、サイゴンの中央広場で20歳過ぎの女性が北のスパイとして
   捕まり、亜熱帯地方の美しい朝焼けのなかで公開処刑されるのを見ました。その後は、ぼくは翌朝まで便器に捕まって吐きつづ
   けていました。もう一度、見てみるかと問われれば絶対にご免です。同じ理由でアウシュビッツにも再度、訪れたくはない
   のです。どう罵倒されても、ぼくは柔であるかを見つける言葉がないほど想い知らされました。いまもこうして書いていると嘔吐
   感を憶えます。
>るるりらさんへの追記として。
とても重く厳しく鋭利なコメントでした。ぼくは、国内ではヒロシマもナガサキも知覧特攻隊飛行場も訪れていますが、すでに吐露しましたアウシュビッツ、そしてサイゴンの中央広場で見たものは、いったいぼくにとってなんであったのかの総括が、サイゴンから40年近くも経つのに、未だできていません。だれかに『それは単なる野次馬根性ではなかったのか!』と叱責されれば、いまのぼくに返す言葉は持ち得ていません。一日一日を送りながら、汚れた澱がこころのなかに堆積していくことを、見て見ぬ振りをしている自分は、ただ見るものに過ぎなかったのではないかとのも分かっているのにです。この追記に返礼を記すことは、偽善になります。今回だけは、るるりらさんに対してだけですが、返礼の言葉は書きませんし、書けません。どうか、その非礼を許して頂こうとも想ってはいませんが、微々たる寛容で結構ですので厚かましい希望ですが、ご理解頂けないかと想っています。申し訳ないことは、重々に承知の上で。責任逃れも強く分かった上でのお願いです。本当に申し訳なく想っています。
>泡沫恋歌さんのコメントを入れ難いお気持ちは充分に理解できます。ただ、アグネス・チャンの件は確たる証拠がないので、ぼく
   はコメントできません。
>松岡真弓さんのご意見ですが、火事の際の赤十字にはなんの疑念も抱きません。東日本大震災の義捐金がすべて赤十字にま
   ず集約されていることも疑問視していることのコメントには、ぼくは同じ気持ちを抱いています。散文ではないかとご指摘にも否
   定できません。ただ、是非、お考え頂きたいと強く願っています。

以上が非常にぼくとしては、簡潔に返礼としてお答えしたつもりですが、簡潔過ぎてそれぞれの方の言いたかったことがないとも感じられる場合もあるかもしれません。今回の問題については、プロフィールに書いたことを破り、私信として頂ければ、議論に応じるつもりでいます。丁度、20時にコメントを熟読させて頂き、現在は22時42分をMacの横においたディジタル置き時計は指しています。今回は、投稿もすることも兼ねてログインしましたが、それを投稿するのが憚られるますので、日を改めて投稿させて頂きます。また、同時にそれぞれの方の作品を拝読し、感想を残したいと考えていましたが、もう気力が尽きてしまいましたので、そのことも日を改めてさせて頂きます。この詩とも確かに散文とも呼ばれても仕方がないものに読んで下さり、沈黙も選んだ方もそれはそれでひとつのコメントだとぼくは想っています。返礼に時間を要したことは、読んで下さった方すべてになんの責も非もないと考えております。すべて、自分が提示したものだけに責も非もぼくにあります。本当にお世辞も社交辞令は、これまでも機会がある度に書いてきましたが、ぼくはお世辞も社交辞令は嫌いですので、言葉通りに受け止めて頂きますようお願いいたします。皆様、本当にありがとうございました。とても自省・自戒・更なる思慮を掘り下げていこうと考えております。以上が、これまでの返礼とは異なりますが、お伝えしたい気持ちはいつもと同じものです。繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。感謝しております。

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