ポイントなしのコメント
[佐々宝砂]
これはメルヘンではないと思う。タイトル通りの内容かと思ったがそうでもない。うーん・・・いまいち、買えない、つまりお金をだして読みたい詩ではない。 追記(9/14.0:13) では批評を書く。構成自体はまともだし、このような詩があってもよかろう。「夢の国にて」「お菓子の国にて」の「にて」の部分がどことなく文語的で他の部分と不釣り合いな気がするが、たいした問題ではない。内容は好きずきだろう。しかしこれをメルヘンと主張することに私は違和を感じる。この詩は、メルヘン的なものをかいた詩というよりはメルヘン的なものを批判、否、揶揄した詩であり、メルヘンの本質をついていない。メルヘンの本質は間違いなく夢だがその夢とは、女の子が夢見る王子様的な夢ではない。夜ねむってみるような無意識に通ずる象徴的な夢である。しかし、特にこの詩の前半は、象徴的・無意識的な夢を描写したものではなく、一般的な・つまらない夢を揶揄したものとしか私には読めない。揶揄でも面白い詩は面白いと思うが、この詩が揶揄するものはあまりにつまらなくて類型的な「夢」なのだ。類型的な夢であればこそ揶揄の対象になるのかもしれないが。 この詩の最大のつまらなさは、最後の1行にある。夢のないオバサンとゆーものの存在を私は知らない。オバサンにならんとわからんかもしれないが、私は少女のころから、少なくともオバーサンと少女にひとつの共通点があり、それは限りなくメルヘンに近いモノなのだと知っていた。弾けることのどこがホラーなのだろう。類型的なつまらん夢を見ていた少女が夢のないオバサンになること、そんなどうでもいいことのどこがホラーなのだろう。わからない。正直、わからない。全く美人ではない不細工な少女がとんでもない夢を抱き続け、不細工なオバサンになり、不細工なバーサンになり、死にかけて、でも夢は持っている、という方が私にはずっと恐ろしい。そしてその方がよりメルヘン的であり、より畸形的であり、より真実だと思う。 同じ作者の作品であるなら、「雨の森」の方がよりメルヘン的であろう。「雨の森」の世界では、森が象徴的・妖精的な生き物として息をしている。私はそのような詩を読みたいと願う。 ホラーの意図については判らない。自慢するが私はホラーマニアだ。この詩のどこがメルヘンであるか判らなかったのと同じくらいに、タイトルのホラーにどの程度の意味があるか判らない、私がアホなのかもしれないので、説明してくれると助かる、別にケンカ売ってるわけではなく本当に疑問に思うだけなので、鬱陶しかったら「もうやめろ」と言ってください、やめます。 了解、ではがんばってください。やめます。
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