ポイントなしのコメント
[恋月 ぴの]
お説によると詩に限らず、言葉を用いる総ての文学は嘘のかたまり
になりますよね。そもそも言葉を用いて思考し、言葉を用いて
コミュニケートしている訳で人間そのものが嘘のかたまりって
ことなのでしょうか?
頭の中で考えていること自体が嘘になるわけですから、人間そのものを
否定しているようにも聞こえます。まあ、確かに人の存在こそ
大自然からみれば嘘であるわけで、お説自体も嘘のかたまりに
なりますし、このコメントも嘘な訳です。
しかし、このような嘘をお書きになれるということは、《本当》がある
との前提に立っているようにも思えます。本当の言葉と嘘の言葉との
違いはなんでしょうか?
(追記)
概ね了解いたしました。お説のとおり書き手にとっての私と私の位置関係はおっしゃられているとおりだと思います。ただ、読み手側のスタンスとしては自己の経験と照合作業を行いながら詩(詩に限定するとして)を読むわけで私と私を切り離して読むことはしないと思います。(一般論としてです)
演劇で言えば俳優は役になりきって私を演技をし、観客は演じられている私に感情移入するから(疑似体験)こそ感動できる。そんな気がします。テレビドラマに感動するのも同様な作用によるものでしょうし。
ひとつだけ思うのは、一般論として人を感動させる詩とは経験に裏づけされた(嘘による)詩じゃないかという事です。(別に人を感動させる必要があるか否かはとりあえず置いといての話しです)
(追記2)
えっと、特に反論とか異論を述べるつもりは無いのですが、参考までに
お聞かせ願いたいことがひとつあります。
窪さんの「肉じゃが」「天動説の子ども」を拝読させていただきました。
いずれも良い詩だと思うのですが、この2篇ともお説のスタンスによりお書きになられたの
ですか?
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