ポイントのコメント
[(1+1)/4]
いまの報道をきくと、「いやがっている人の (いやだー)という空気が周りに伝わらない」というのと、
軽い冗談のような差別がいつのまにかホンモノになってしまうような いやーな感じをおぼえる。
いまの社会ってけっこう頭かたい、つうか「これがいい」といわれる範疇が狭いよな。
毎日さくさく生きていかなくてはいけないのは ひじょうにしんどい。
もっとゆるい生活を日本人は真面目に考えなくてはいけないね。
かつ、便利でないと満足できないのだから 日本人は世界レベルでわがままな民族かもしれない。
だれか 頭のいい人! このサイクルを変えるきっかけをくれさい!
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あとでまとめて コメントどん!と書ければな、と思うけど、ひとりの「被害者(意識)」がそのほか全員にとって
最強の加害事象になりえたりもするから(当方、自身が周囲に対してタタリ神化した覚えが過去にある)この辺はむずかしい。
一日にいやだなとおもわれる状態を仮に1として計ると、
その集団で「ふつう」といわれる人々がたとえば30人くらいいるとして、その人たちが0.1くらいの いやだな、を持っているなら
いやだな対象のひとはみんなから3ほど いやだな をくらうことになる。
それが毎日なのだからいやだな対象の人はけっこうしんどいだろう。
…
で、こういう話をすると、毎日3ほどのダメージを食らっているひとのほうに目がいくのだけど、
ほんとに目を向けなくてはいけないのは 毎日0.1ほどの いやだな を抱えてしまうみんなのほうなのである。
1.それは 本当に いや なことなのか?(自分が毎日何もできなくなるくらい、いやか)
2.ほんとうに いや であるなら それを相手に改善してもらえないのか?
3.それが 本当にいやで、かつ改善も望めないのなら 相手をそっとしてやることはできないのか?
…こう考えていくと、「そこまで いやだなー と思っている奴に なんでここまでしてやらなくてはいけないんだ!」という気持ちになる人もでてくるだろう、
こういうパターンも普通にあるだろう、ただ実際に行動することについてはその対応の種類にかなり意見があるけども。
けっこう些細なところに根があり、だれもがどっちにもなりうる。
自分の立ち位置が当事者たち(傍観者含む)にもわかりづらいため、解決への道のりが遠く思われ、
そしてそういう事項について、たいていの人は考えをストップさせてしまう。かくいう当方もこのようにコメントをつけるためでなければ書かなかったりするんだ。
だからね、こういう話になってしまうとたぶん誰も謝れないのだとおもう。これはよくない、とみんなが思っていても。
加害の中心になっている奴はもとより、周りの0.1のことを もすこし見回してみましょうよ。がんばれみんな。
当方も みんな の一人だ。考えよう。
(11/22追記。ここ数ヶ月くらいの知り合いらしき人がこれを読んでとんでもなく誤解されるのはいけないので、言い訳を書きます)
?んと。当方は主に 少数派に属してきた人間なのだけど、ところによっては たった一日の不快感をどうにも我慢できなかったことがあり(五年位前の話です)、
人にとって「不快なことを我慢し続けるというのはかなりストレスの掛かることだな」と思うようになったわけですが、
じゃあその互いの負担をどうすりゃええかいな つうことになると 当方はさっぱり見当が付かない、ちょっとだめな人なわけです。
なので、「さーあ・みんなで考えよー」といってみたわけですが、今まであまり仲間入りのできてない当方がそれいっていいんかい?つうのはあります。
って、ちっとも面白くない数文で・すまそん。
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