ポイントのコメント
[恋月 ぴの]
自分の手元には日本図書センター刊の「萱草に寄す」があります。ちなみに収録されているのは萱草に寄す、暁と夕の詩、それから優しき歌の3詩集です。岡部さんがおっしゃれているように、いずれもソネット形式で書かれています。(脚韻を必ずしも踏んでいるわけではないので、14行詩という意味合いでのソネットになると思います。) さて、後述するように、道造は第一回中原中也賞を受賞するのですが、ふたりとも叙情的な詩を書いていても両者には明らかな違いがあると思います。ダダイズムに影響されランボー詩集を刊行している中也は、ある意味人間臭さに溢れていますが、道造の場合には、岡部さんのおっしゃられているような「詩の高み」、高踏的な詩情が溢れていると思います。でも、それが線の細さ、ナイーブ感というか頼りなさにも繋がっているような気がします。両者ともにパートナーはいましたし(中也は孝子、道造はアサイ)中也は子どもにも恵まれています。(長男、次男が生まれましたが二人とも幼くして死去)両者の違いは精神状態とか人間関係に起因するものでは無いようです。 どっちが好きかと問われれば、個人的には中也になってしまうのかな でも、道造の詩篇、いずれもタイトルからして叙情的なんですよね♪ 尚、中也の没後2周忌にあたる1939年に道造は第一回中原中也賞を受賞するのですが、四季主宰の中原中也賞受賞式には彼の姿はありませんでした。(同年3月29日道造死去、4月29日受賞式)まあ、このあたりのこと、岡部さんはご存知だと思いますので、このエッセイを読まれた方への補足説明という意味で付記させていただきました。 それからエリザベート、手元にある本の解説によると、道造21歳のときに心惹かれたケイ子という女性のことだそうです。 (追記) 差し出がましいことをして申し訳なかったかも^^ でも、このエッセイを読まれた方が道造や中也に興味を持たれることがあると良いなあと思ってしまいます。 中也…是非、エッセイにして下さいね。楽しみにしています。
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