ポイントのコメント
[「ま」の字]
 今私は、何度目か(何十度目か)の「自分は何を書きたいのか。書くべきなのか」探しをしているようです。今回のきっかけは、他人の書いたものを読んだこと。「こんな風なものを書きたい?」「こんな書き方をしたい?」と、人のものを読みながら考えている。オリジナリティーといっても、人を見ないと見えてこないのかもしれない。  ところで、冒頭で引用されているサイトの文章。孔子の有名な「述べて作らず」を「コピーしてるんです」と単純に言うのはどうなのだろう。いや、おそらくは論を明快にするためのレトリックなのだろうが・・・。「解説(解釈)したが、ゼロから作ったわけではない」更には「発見だ。発見はゼロからの創造ではない」とか、そんな風なのかと感じる。個人的にはこの方が薀蓄深いように思う。  引用文の中で「媒介」という言葉が出てくるが、個性というのは、結局は世界をどう表現するかの「触媒」あるいは「生ける関数」だろうか。極微なものであるにしても。  まあ、いいか。  私は曇天を見ている。私の見ている曇天は今のところ私にしか見えない。曇天から感じられる何事か、も私にしか感じられない、今のところは。どう表そうか。どのような形式を与えようか。 この曇天を作ったのは無論私ではない。 この曇天を書く(解釈する、発見する)のは無論私だ。  う〜ん、結局ただのヒマ人のヒマ話かなあ。気取った文章すみません。  追伸;最近読んだ言葉「“型”があって“型破り”ができる。“型”がなければ“型なし”だ」全面的に信用できるかは知らないが、穏当な見解だと思った。
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