ポイントのコメント
[足立らどみ]
この作品を読むとハナさんは「話したい人」ではなく「話さん人」で、でも
話し続けてかろうじて自分の輪郭を保っている人として立ち現れるので、
語りは意味を伝えるためのものではなく不安やさびしさが形を失わない
ようにするための心とつながったの呼吸のようなものなのだと思います。
そして互いにブルーオーシャンをみてる不思議なナディアナラティヴの
視点では、語りはまだ「物語」になる前のばらばらな断片のまま空中に
放たれているようにも見えます。
その前で語り手が告げる「もう聞かない」は冷たく突き放す言葉ではなく
ハナさんの語りをこれ以上「流れっぱなし」にしないためのやさしい堰(せき)
のように感じられました。
なんも責任をとらない匿名無名の誰かが無限に聞き続けてしまうと
語りは安心と引き換えに、いつまでも同じ場所を回り続けてしまう
だからこそ、あえて止めることが、相手を現実へ、時間へ、そして
自分自身へと戻す支えになる場合があるのだと思います。大丈夫^^
上流の「話の墓場」は語られなかったから捨てられた場所ではなく、
今はまだ触れないほうがいい言葉たちが静かに休んでいる場所のように
読めました。
雨だけが返事をするという沈黙は、理解や解釈を急がず、
語り手と聴き手のあいだに余白を残す臨床的な時間そのもののようです。
そして、最後の「ごめんね」
境界を引いたあとに残される、人と人との温度をつなぎ直すための一言
私たちには、無限に続く時間がないという寂しさ。完璧に聴けないこと
それでも関係を投げ出さないこと。その両方を同時に引き受ける姿勢が
この作品を厳しくも、深くてあたたかいものにしているのだと思います
私も似たことをし続けた「もう聞かない」という選択が
相手を支えるためにこそ必要になる瞬間があることを
この詩は、とてもやさしいかたちで教えてくれました。
先生、ありがとう
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