ポイントのコメント
[ハァモニィベル]
  毎日発、毎日行きの、日常線の構内では白線まで下がって並ばないとイケナイので、 当然、明日なんて見えませんが、だからと言って、日常線を非日常線に乗り換えてみても、 やがて慣れてしまえば、いつしかそれも又、毎日発・毎日行の日常線の運行でしかなくなってし まうのが人間存在の侘しさでしょうね。いずれにしても同じ様なら虚しくて侘しい。   ですが、ほんの一瞬で死ぬか、それとも、ほんの一瞬でも生きるか、で人生は大きく違う、 そんな気も(僕には)します。   それに、毎日発毎日行の日常線を、待っては乗り、運ばれては又待つ、日々だとしても、 せめて可憐に美しく咲いてたら最上じゃないか、という思いが題名から感じられました。 * (僕の「太陽の季節」を読んで頂き有難うございました)
戻る
編集