ポイントのコメント
[朧月夜]
「プールサイド」と題されているのに、「秋 水辺にいるみたいに」としてそれが反故にされているのが釈然としないです。「プールサイド」というのが水の枯れたプールサイドで、「飛沫」というのが「飛沫」と呼ぶしかない、水しぶきではないものと思うとしっくり来るのですが、そうすると「水辺にいるみたいに」という表現が不徹底のように見え……この不徹底さは意図的なものでしょうか。書き終えてから、意図して残した、というのでも良いのですが……とにかく、<水は存在しないのに、存在しないはずの水を浴びている>という事象が、少しく古典的だとは思うのですが、鮮烈に伝わってくるというのはあります。「詩」の言葉として、「水辺にいるみたいに」というのが<これしかない>というものであっても良いとは思うのですが、そうすると、意味のつながりでもない、イメージのつながりでもない、さらに<音韻のつながり>にはとどまらない動機付けが必要になってくるのかな、という感じがします。たしかに美しい詩ですし、「プールサイド」というタイトルも印象的で良いと思うのですが……、ちょっとわたし自身は古い感覚を持っているので、この詩の美しさは不可能図形の美しさのようなものなのかな、といった感じがしてしまいます。
丁寧な返信をありがとうございます。ああ、そういうことかあ、と。わたしは戦後詩などの流れには不案内なものですから、野暮を承知でお答えいただき、逆に申し訳ないです。マグリットの絵のタイトルが「これはパイプではない」的な……ふむん、まだやはり的を射ていないですね。「意図した不徹底です」と言っていただけますと、わたしとしてはほっとする部分があります。重ねてありがとうございます。
---2024/11/28 21:14追記---
戻る
編集