ポイントのコメント
[竜門勇気]
最後の行に向かう収束の仕方がいい。
生きている他者、死んでいる他者。
あなた、僕、彼女の関係。
あなた、が彼女に向かわせる信頼と
僕、が彼女に負わせている幻想への別れが
彼女、が現実に残した呪いをそのまま残したまま
小さな輪として三者が続くだけの時間だけ存在するんだろう。
去った”僕”はきっと”あなた”の前から見えない場所に
移動するだけで呪いと契約を纏ったまま息をひそめている。
だから、達者でね、とだけ言葉を残せるのではないか。
しかし、そのような些末なプロットを追っていても
この詩を読んだことにはきっとならない。
重要なのは、”僕”の願いと祈りが非制御な彼女の呪いに向いていて
それはきっともう存在しない”彼女”が”僕”の中に作った存在に
迎合している危うさとともに、「そうしないではいられない喪失の大きさ」を表しているのだと思う。
”僕”や”あなた”以外の人から見れば”彼女”はいわば荒神のように
「呪い」「踏みにじり」「所有し」「憑りつく」存在なのかもしれないが
信仰している者にとっては「約束し」「処罰し」「守護し」「寄り添う」存在なのだといえる。
彼女がいた場所は、空白となり、さみしさと心もとなさが残っていて
”僕”や”あなた”はその空白とともに生活を続けていかざるをえない。
ゆえに、さようなら。ではなく「達者でね」なのだと解れば合点がいく。
神が隠れても、愛している人が去っても、世界は終わらない。
自分の命が続くだけなのだ。
それが特に最後の節で描かれている。
ぼくには詩力があまりないから
最後の締めを書くとしたら
”
なんだかわるかったね
長々話聞いてもらって
あのとき、みんなよくやったんだ
二度とここには来ないでいいよ
”
とかねちょっとしたことを書くと思う。
ちょっと嫌な感じで〆ると思う。
それをさわやかに落としてるのは筆力だ。作家力だ。
粘っこいことを書いてる割にいやな感じがない。
ちょっと休んでるみたいだけど、どんどん書いたらいいのにな−と思いました。
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