ポイントのコメント
[アラガイs]
背骨というのは本当に大事で、若い頃バイト先で無理をして腰を痛めてしまいました。あれ以来腰痛とはずっとお友達のようなもので最近は特に酷いですね。片脚立ちなんてふらふらして自転車もフラフラしてしまう。できるだけ強くやわらかくとストレッチ運動をしても腰骨音のゴキバキは消えません。〜これからの詩は頭ではなく腰がうたうべきだろう〜 人類が直立歩行を始めてから負担の重い腰の痛みとは切ってもきれない宿命になりました。何をするにしても背骨から腰が支点になってくる。 ああ、頭が重い重すぎる。I can't get no satisfaction.experience.肉体で体験しないことには何事も始まらない。想像と現実。頭だけで思考するにしても肉体でうたうにしても大切なのは円運動の中心でしょう。オーマイゴッド!銀河系団だ。このことはいくら目の前には無い超現実をうたうにしてもやはりどこかで迫る精神的な支えは必要になってくるのです。 本当に刺激的に内在するとはどういうことなのか。先日の先月来現代詩人会の投稿入選作をみて少し気になる詩があったので作者には了解の要らないようにその抜粋だけを載せて終えます。  「窓から港が見える室内」梶本堂夏  〜彼は灯台のことを乳牛と呼んだ  彼は冷蔵庫についた霜をレモングラスと呼んだ  彼はラジオから流れる仏語のコマーシャルを水没林と呼んだ ……これだけでは、なんとまあ、不可思議な無意味さではあーりませんか。 続くそのあとがいいのです。 〜そして壁にあるハンガーの影を美しくなでる。 前述の三行が、現実に見る世界とあたまだけに浮かんだ非現実の世界観から重ね合わされているということが受け取れてきますが、〜影を美しくなでる。この一文で前述の三行は見事に受容され、その何者でもない彼という不在感にぶっとんでしまいました。この日常と非日常が組み合わされる詩の文言において、つまり美意識とは実体を超越した認識のほうが重要で、そこには当然常識などという日常空間の表象はない。ここでは彼自身が思考するあたまでも傷ついた肉体でもなく、精神に介在する世界そのものだったのです。 ---2023/11/08 06:09追記---
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