ポイントのコメント
[N.K.]
自動ピアノという存在は、自己矛盾を表しているのでしょうか?
あるいは、止揚される存在なのでしょうか?以前の自分なら自己矛
盾としか、思えなかったような気がします。でも弾いてくれる他者
がいるのならば、あるいは聞いてくれる他者さえいれば、自己矛盾
的存在は、自己と他者の共にある場での存在として、生き生きとで
きるのではないか?それこそピアノもフォルテも自在に。
自己矛盾とは、独りでいることからこそ生じるもので、他者のい
る場であれば、他者を補い他者に補われて、自在にその場を生き生
きとさせることのできる契機なのかもしれないと、この詩を読んで
考えさせられました。
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