詩の言葉と拘束具/ななひと
こうした例は、この文を書いている私の思いこみであって、そういった概念をひっくりがえすことで詩表現を広げようとしている人が既にいるかどうかはしらない。
こうした検討でわかることは二つある。
一つは、言語は、純粋に記号として独立して存在する物ではなく、それがおかれた環境の約束事に従っている(と我々が思いこんでいる)ということ
二つめは、こうした言語と環境による多様な関係は、簡単に破ることのできるもので、物理的論理的な不可能性にもとずいているのではないということである。
いわゆる「詩」を読むことには、我々が全く気づかない形で、何の拘束具も必要とせずに我々を縛り付ける権力が隠されているのである。
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