近代詩再読 村野四郎/岡部淳太郎
匠は新しくても時が経てば古びてしまうようなものになりかねない危険性をはらんでいたと思う。「永遠なる芭蕉」(同じく『現代詩文庫1028 村野四郎詩集』収録)という文章の中で、詩人はこの詩を「思想的にも、形式的にもドイツのノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)の実験のつもりで」書いたと述べている。実験というものは、その時は新しく見えても、時が経過すれば古臭く見えてしまうものなのだ。だが、この詩の場合はその危ういバランスの上で何とか踏みとどまっているように見える。「僕は周囲を無視する/しかも外界は整列するのだ」などという詩行は、いま書かれたとしても決しておかしくはないだろう。
『体操詩集』一冊があまり
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