近代詩再読 村野四郎/岡部淳太郎
 


 あまりにも有名な『体操詩集』(一九三九年)からの一篇である。ごらんのように、ここには「近代詩」と聞いてすぐさま連想されるような甘い抒情もなければ、自我にぴったり寄り添った詠嘆もない。あるのは、ただ事物を率直に見つめる濁りのない眼差しだけである。第一連三行目の「僕は解体し、構成する」などという言い方は、それまでのいわゆる「近代詩人」たちなら絶対に使わない言い方だ。ここではあらゆる感傷や詠嘆は周到に回避され、ただ事物を描くことにのみ詩人は精力を傾けているようだ。村野四郎は「新即物主義(Neue Sachlichkeit)」という「一九二〇年頃ドイツに起こった一つの文学運動」(「わが国の新即物
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