宮沢賢治の詩メモ/石川和広
 
としても興味深いし、びっくりである。
そしてここから第三集の「春」の
「ぎちぎちと鳴る汚い掌を、おれはこれからもつことになる」
といってるあたり、喪の終わりから、動き出すのだけれど
「札幌市」に示されるように「湧き上がるかなしさをきれぎれ青い神話に変えて」
それを「楡の広場に力いっぱい撒いて」も
「小鳥はそれを啄まなかった」
というように、もう賢治の音楽の美しさが通用しない世界に来ている。それがまた「開墾地検察」に出てくる「はあ」と手応えのないあいづちが返ってきてしまう中を漂うように。
あたらしく詩を「開墾」=「悔恨」しても、ダメで、その辺りの途方のなさに共感します。
やっぱり、「これみよがし」の強さが病気として強調されちゃうところに、他の雑音を排そうとする野蛮と清潔なファシズムと入り混じったものも感じる。
善し悪しは別に詩人として、唐突な散逸稿を残す強さは、病理の形をとって、精神の複雑骨折から詩を鳴らしていたんだろう

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