鉱物としての彼ら/はらだまさる
 
花屋のバイトでも、農業者でも、パン職人でも、カメラマンでも、金持ちだろうが、貧乏だろうが、色黒だろうが、色白だろうが、アトピーでも、喘息患者でも、浮浪者でも、大人でも、子供でも、何にでも喩えられるんじゃないかと思うし、実際俺は詩人以外の彼らの存在にどれだけ救われたことだろうか。鉱物ではないけど、美しい流線型のポリカーボネイトや、使い込まれて手垢で黒ずんだ木槌に、その美しさを見出す人もいて当然だ。強度や透明度だけで詩の良し悪しを語るのもいいけれど、俺はすでに存在する彼らの、醜さも美しさもひっくるめたこの広大な詩の世界のあり方を眺望するだけで、溜息が出てしまうんだよ。自らの醜さと弱さ、不確かさに真正面から向き合う柔軟性の無さと、潔さと勇気ある鉱物としての彼らにも感謝せずにはいられないお目出度い馬鹿だよ、俺は。ありがとう。感謝されて下さい。俺は人としてもまだまだだけれど、これからもずっとこんなスタイルでやりたいことやって死んでいくよ。






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