サクマ式ドロップスの思い出/快晴
中身が残り僅かになると、私はその缶の中に水を入れ、そしてそれをよく振り、あの映画の真似をしてそれを飲み干したのだ。しかし期待に反して、その飴が溶けた水は非常に薄味で、とても物足りなく感じ、幼い私は拍子抜けしてしまった。
そんなことを今でもサクマ式ドロップスの缶を見ると思い出すのだ。当たり前の話だが、あの映画の中での最高の贅沢品としてのドロップ(と言うよりも、むしろあのドロップが妹にとっては生きる上での心の拠り所と言ってしまってもいいかもしれない。)と、丁度バブルの時期に当たる私の幼少時代においてのサクマ式ドロップスでは価値が全く違う。まず映画では、あの「ドロップジュース」はドロップがなくなっ
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