ダイヤモンドのきらきら/李恵
 


輝いたダイヤモンドのような1日は
毎日訪れるものではない


毎日をダイジに生きろと言われても
時間は無情にも過ぎていくもので

止められるものなら止めたいと何度願ったことだろう


止められないからダイジにするのだ

もし仮に止められたとしたら時間は
それほど価値のあるものにはならないはず



時間≠価値

人生≠時間


そんな難しい方程式を解くより
今を精一杯生きる方法を見つけるほうが容易い



「何のために生きてるの?」




「生まれてきたから」



それが生きてるってこと?

痛みで生きてる確認なんかしなくても
自分の鼓動がその証

目を閉じて無心でいれば聞えてくる自分の音

ドクンドクンって
胸の鼓動が聞えてくる

うん、生きてる、君は生きてるよ


ダイヤモンドのような1日が
たまに訪れでもすれば
それが半永久的に続くのなら

生きているのも悪くないと思う


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