文学史的演説/ダーザイン
 
されなければ存在しないが、佐々木幹郎さんのような人のデータはシェアされない。即ち、佐々木幹朗さんは歴史の中に存在しない。Googlで検索しても、佐々木幹朗さんの詩はほとんど読めない。買わなきゃ読めない。みみっちいのか、馬鹿なのか知らないが、佐々木幹朗さんの詩は、この情報社会でシェアされていないということだ。
 その、ワイヤードという新しいリアルの中に存在しない者が、俺の「星屑の停車場にて」も、A 道化さんも、animicaさんも読んでいないような人が、現代詩を語る。資格のない者が権威としての立ち位置に居座り続けて現代詩について語る。そのような場所・媒体そのものが、もうシェアされておらず、存在しな
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