驟雨或いは詩についての覚書/panda
図書館で『アンチ・オイディプス』『特性のない男』『謡曲集』を借りるが、突然の豪雨に襲われる。
それはそれとして、今更ながらにドゥルーズ=ガタリは面白い。読み始めたばかりだが、壮大な散文詩と言えなくもない。
詩を書く人は、詩の現在の地位に不満を持つものであるらしい、私には良く分からない。
今日、小説が文芸の盟主であり帝國であるのは、小説が常にそれ自体を包摂し得る様式だからである。小説作品は内部現象を常にその内部で分節しパラフレーズしていくことができるが故に、常により多くの理解とそれに基づく了解を志向することができる。そして、理解が多ければ多いほど了解の閾値は低くなる(それ故、容量の
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