技術論とミロのヴィーナス/いとう
 
のなさを美と思わない評だって巷には溢れている(もちろんそれを以ってそういった批評の方法論に欠陥があるとは、私は思わない)。問題なのは、(曖昧な表現になって申し訳ないが)見る角度ではなく、見る姿勢なのではないだろうか。「腕のなさ」を美と感じるかどうかが分岐要素であって、「腕のなさ」をどこから見るかは関係ないのかもしれない。技術について言及しているとしても「美」を見出すことはできると思っているし、技術論を以って腕のなさを批判したり付け足したりしているのであれば、それは、私の言葉で言えば、「技術論的側面からの添削、あるいは印象批評」に過ぎない。


以上、原口氏の言及をベースに自分なりの考えを述べたが、これが、ない腕に勝手に腕をつけるグロテスクな行為になっていないことを祈っている。もちろんそのようなつもりはないが、もし無自覚でそのような行為を行ってしまっているのであれば(そのような指摘があれば)、その指摘を元に内省していきたい。書くことに対して、もっと慎重になっていきたい(もちろん今でも慎重なのだが、それ以上に)。と同時に、考えるきっかけを与えてくれた原口氏に感謝したい。



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