小説家の才能について考える。/腰抜け若鶏
 
だなんて、たかが漫画だなんて、たかがゲームだなんて舐めちゃいけない。味はほとんど同じだ。
だが、小説家は文字だけで映像も音もはっきりと知覚できるのだ。
しかもその可能性は無限大。技術の限界は存在しない。

言っておくが私は小説家ではない。
私が小説家の喜びを享受するには多くのツールがいる。
しかし、世界には小説家と呼ばれる脳の作りをした人間がいる。
そして、誰にでも簡単に小説家になれるツールが私たちの脳を小説家から遠ざけている。
それだけ言いたかった。
戻る   Point(0)