夏の陽射しの懺悔の香り/チェザーレ
私が昔住んでいた家のすぐ近くに火葬場があった。晴れた夏の日によく、煙突からにじむ煙を無邪気にながめていた。そんな記憶がある。
私の祖父が亡くなったのもそんな季節のことだったけな。もう、5年も経つんだな。あと2年もしたら弟が当時の私と同じ年になる。夏の手前の今日みたいな晴れの日に。祖父はいなくなった。恥ずかしいことながら、私は未だに「いなくなった」という感覚しか持っていない。いや、それすら怪しいのだが。つまり、受け入れることができていない。
悲しいときに悲しいと思う。悲しいときに涙を流す。 それは、きっと事実を受け止めるってことだったんだな。カッコつけてたわけじゃない。責任感をもってた
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