人の幸福について考える。/腰抜け若鶏
 
かが我慢しなければいけない。

誰かの幸福のために自らの幸福を犠牲にしている。
それがこの世界の現状だ。
エゴを主張する側は「力」によって押さえ付けている。

幸福になるためには「力」を手に入れればいいのだろうか?
一時はそうも考えた。

けれども、
「力」によって押さえ付けられた側はいつまでも黙ってはいない。
今日まで胸に秘めた不満を、
溜め込んだ憎しみを今こそ晴らそうといつも隙を窺っている。
そしていつの日か必ず栄華は突き崩される。

「力」による幸福は刹那的なものだ。

私はもっと普遍的な幸福が欲しい。
例えばそう、「愛」なんて神聖な美しい響きのものとか。
激情に突き動かされる時代はもうとっくに過ぎたけれども、
私は未だに幸福の形さえ見つけられない。
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