「優しさ」についての論考/広川 孝治
 
ている時代なら、僕は、「参加」しておらず。それゆえになんら発言する資格ももたず。ただ小さく小さく生きていくしかなかっただろう。

しかし。正誤の判断ができない。曖昧な現代においては。かかわらないことも優しさの一形態と見なしてもらえるので。

僕は「いつも優しい」と評価してもらえるのである。

なんと情けなく、頼りない実態であろうか。

それを自覚し。変革の願いを持ちながら。

現実にはただ足踏みするだけの自分。歯噛みし、一番悔しく思っているのは自分であるはずなのに、どこかで許容してしまい、怯惰な諦観に身を任せてしまう。

真の優しさ。熱望しながらも、強さが求められるゆえに、自分には縁の無いものと諦めている、臆病者がここにいる。

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