観覧車が燃えてるように見えたのは夕陽のせいだった。/カンチェルスキス
 
たときはいつもこうしていたのだ。終わったら、水に流し、トイレットペーパーを窓枠に置いて、トイレから出た。トイレットペーパーの芯の取り替え方はわからないままだ。だから、追い払ったとはいえ、思い出したときにはいつでもあの構図をものにする資格は、おれには十分残されていたのだった。




 オチのある話は、落語家に任す。彼らのオチに対する意識は並外れて高い。だから例えば、あなたがオチへの希求心を燃やすとき、彼らは必ずその想いに応えてくれるだろう。それが彼らの道義的責任であり、存在意義であり、クレアラシルソープなのだ。彼らが座布団に座ったときからあなたの願いはすでに叶えられているのだ。さあ、落語を聞きなさい。どれを聞けばいいのかわからなかったら、あの人に聞いてくれ。きっとあの人はウイットに富んだトークであなたの問いにわかりやすく答えてくれるだろう。


 あの人とはいったい誰だ。





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