忘却についての、ささやかな省察 (1)/竜一郎
 
忘却の一つの形態である。そうで〈あるべき〉ものが隠されて、そうで〈ある〉ものに置き換えられてしまう。疑いの余地はない。視覚的なメディアは、絶対の信頼を置きうるものだから。隠蔽は巧妙になり、事実は無根であっても、証明がなされるだろう。

 写真には枠がある。もしも、そこに収まらない部分に重要な箇所があったとしたら、どうだろうか。たとえば、銃を持った人間が撮影された写真があるとして、その銃で殺したものを撮っていないのはなぜなのか、など、疑問に応える箇所は映されていないかもしれない。始めから隠すこともできるのである。そこに映っている〈べき〉ものに想いを馳せ、私たちは思い出すべきだ。そして、歴史の奥底に隠され、忘却されながらも、今でも響き続けている「こだま」に耳を傾けなくてはならない。


参考・引用文献:
『笑いと忘却の書』ミラン・クンデラ:著 西永良成:訳 (集英社)
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