箱入り娘に関する詩的考察/岡部淳太郎
 
だ人の悪意を知らない卵の白身であり、
遅れた時間に袖を掻きむしる、一匹の歌わな
い蟋蟀であるだろう。

          今日、私の部屋にひと
つの箱が届いた。ちょうどひとりの娘が膝を
抱えて入れるぐらいの大きさの箱である。そ
の中に生きたひとりの娘が入れられていても、
あるいはひとりの娘の遺骨が散乱していても、
私は欲情を覚えることはないだろう。箱とい
うものは、無理にこじ開けてはならないもの
なのだ。娘の固く握られた掌は、柔らかく乾
いている。私は箱を開けずに、私自身の門限
までじっと待つ。豆腐よりも壊れやすく、氷
よりも溶けやすい存在。たとえそれが菓子箱
程度の大きさであっても、そこにはひとりの
小さな娘が入っているに違いない。私が知る
ことのなかった、ひとりの娘の生死の真実。
深夜、私は私の宇宙という小さな箱を満たす
ため、その箱に手をかけ、そっと蓋を開ける。



冒頭部分は、入沢康夫の「季節についての試論」の模倣。




(二〇〇六年二月)
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