「中間」とは何か ?無関心に対峙する?/竜一郎
るものは加担という形をとるが、どちらか不利な一方に寄りそうこと、それもまたひとの世にあっては「中間」の枠のうちに入れてもいいと、私は考える。
そういった理由から、弱者をないがしろにする報道は奇妙に思われるのである。おそらく、「中間」は「中間」であり、どちらか一方に協力した時点で中立性を保てなくなると語る方がいるかもしれないが、それは場合や状況によりけりである、と、考えてもらいたい。すべてのケースに適応しうるものはそうそう見つかるものではない。それでも、ここで「中間」を考えておくのは、〈無関心〉を恐れてほしいためである。時として、無関心は不道徳と同義になる。サイードは「知識人は『アマチュア』であるべきだ」と語った。「アマチュア」とは専門家ではない、ということだ(下手な専門家は部外者を排斥しようとする)。すべての方を向き、無関心と隠蔽と、暴力を恐れ、あなたの喪失を守るために護ってもらいたい。そして、ひとが介入することを許してほしい。ひとは、争わずにはおかないけれども、理解を求める「言葉を話す動物」でもあるのだから。
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