「中間」とは何か ?無関心に対峙する?/竜一郎
 
 平野啓一郎氏の『文明の憂鬱』のうち一篇を読み、メディウム(medium)から発生した語がメディア(media)であり、それが中間を意味するものだと知った。この「中間」というものは、人間にとってはとても微妙なものとなっている。あるひとは物事に介入しないことを「それ」と指定するだろうけれども、彼は往々にして「傍観者」の位置に立つ。それでは野次馬とどう違うものだろうか。
 それでは、「中間」というものは、どこを指すものだろうか。たとえば、白と黒との中間を灰色と言えるのか。しかし、それは混沌であり、ただの混合の結果ではないだろうか。白と黒との間は、やはり、白と黒とで鬩(せめ)ぎあっている。弱者を守るも
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