あの頃/三州生桑
最近しきりに、学生時代の或る失恋を思ひ出す。
彼女は美少女だった。さうして、それをよく自覚してゐた。
「またモデルにスカウトされたよ!」
有り体に言ふと、私は二股を掛けられたのだった。
「彼、サラリーマンなの」
私は静かに別れを告げ・・・さて、どこをどう歩いたのやら。
夏の終はりの夕暮れどきだった。
私の行く先に、白い杖をついた老婆が立ち往生してゐる。
歩道が工事中で通れなくなってゐたのだ。
私は、迂回せねばならぬことを老婆に言ひ、手を引いて一緒に車道を歩いた。
・・・何と醜い老婆だったらう!
工事現場を通り抜け、歩道に戻ると盲目の老婆は言った。
「ありがとな。兄ちゃん、ええ男なんやろな」
私は―――
泣いたかも知れない。
あの頃から、私も、世界も、何も変はっちゃゐないのだ。
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