在り方を成立させる技術について/いとう
と思っている。
「祝婚歌」が現代詩と言われ、「現代詩」の範疇の中で評価される所以は、
この詩がメッセージではない点である。
メッセージという型を選択した自由詩だからである。在り方の問題だ。
(その在り方を読み取れない人は、両義的に実に多いのだけれど)
そして在り方の問題として、
「知らないことを知っている」は、「現代詩」として存在している。
この詩は、単なるメッセージとしてではなく、きちんと「作品」に昇華されている。
そこには昇華するための技術がきちんと使われてあって、
だからこそ「現代詩」として、いや、「詩」として、成立している。その在り方において。
そこには構造も、熱意も関係がない。
(かなり言葉足らずな論ですが、きちんと説明するには今は時間が足りません。申し訳ない)
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