郷恋/蒸発王
まだ雪の多い
街中を
私は外套一枚で
使いに出ておりました
ご奉公先の奥様は
とても優しい御方で
時々
私に使いを頼む時には
少々多めにお手前を握らせてくださり
何か好きな小物でも買っていらっしゃい
と
襟巻きを巻いて下さるのです
時々
思い出したようにかすめる
冬が
風に混じって
春の宵になびいているのが
こんな街でも
分かるようになったなら
故郷の彼の山
彼の川も
きっと
ふいに過る
生家の
母の顔に
少々
心に来るものを感じ
荷物を持ちなおして
前の風景を見ると
酒屋の暖簾に
ぼんやりと
灯る
蜜柑色の
ちょうちんの
ともし火が
鋭い
北風に煽られ
今にも
消えそうでございました
『がんばれ』
口をついて出た
ソレは
ちょうちんに言ったのか
私自身に言ったのか
いまでは
とんと
思い出せないのでございます
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