人としての生き方/奥津強
「人」を人は行動するような気がする。善なり悪なり神なりは、知識人の言葉遊びに繋がり、元来、人は人の行動でよい、そんな気がする。
しかし、生まれつきという壁があるらしい。私は、余り感じないが、人によっては、両親の影響で「これ以上は進めない」となるらしい。では、両親が全てか?
「東大に落ちたのは、ママが勉強しろといったからだ」と、昔、ニュースで取り上げられていた気がする。
そう考えると、あながち両親の影響も少なからずある気もするが、やはり本来、性格というものは、「人」のような気がしてならない。
人は人としての業務があるだろう。しかし、そうなると感情とは何に属するのだろう。
出来れば、私もこの中学生のような問答には飽き飽きしているのだ。誰か一人でも、私に救済の言葉、つまり答えをくれ。
最後に。神や知識を私は否定しているわけではない。しかし、ヌーディストや、ゲイ、レズの表明のように、人は人なのではないのか。そう思うだけである。
「戒律を作れば、反発が起き、欲求のままに生きれば、堕落が来る」。どちらかでもないのか?
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