石川和広詩集『野原のデッサン』を読んで/窪ワタル
 
恥ずかしいモノ」を見せてしまったような居た堪れなさに近い。だが、それでも曝け出さずに居れない、一言で云えば「実直さ」が「軽さ」になって表れていて、それが不思議な磁力を発している。

まるで後から吹き付けたような嫌な重々しさがまるでない。それが、詩人いわく「呼吸」の「デッサン」なのかと、心地よく得心が行く。丁度、夏場は湿って重く纏わり付く風が、秋から冬にかけて、ゆっくりと乾いて軽くなるような、だが、物悲しく、深い寂しさや、無垢な優しさ、少年のような、時に破壊的な正直さが、詩人の息づかいとして通ってくる。

実直であることは、簡単ではない。自己との対話を日々積み重ね、日和の良い日も、雨の日も風の日も、揺れ続ける内心から目を逸らす訳には行かないからだ。
ありのままに書こうとして、書けているところも、書けないでいるところも、言葉にして定着させることで、すべては詩人の再発見して作品化されているようにおもう。

作品化した以上、それはもう発見したとは別のモノである。けれど、それが「不作為」ででもあるかのように、無理なく頬に触れてくる。
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