土佐日記からおんなへ/石川和広
 
でもないけど(そういう人もいると思うけど)。というか文学は中性であり、中性におさまりきらないものをはらみながら展開されていく。そういう人間的な営みだろう。

僕は女性に関して人並みの失敗はしてきたつもりだが、そこには、女性という横の関係でおさまりきらない、何か本質的に自分を成り立たせているもの、自分のなかの父親とか母親がいて、そういうのにうまくなじめなくて(実際母の神経質を僕も受け継いでいると思う。過度に神経質だと視野が狭くなってしまう)俯瞰しそうになったり、過度に地ベタを這ったりしてしまうのだ。なかなか難しいんだけど生きている苦労の大半はそこから来るのではないかと思う。見捨てられないかとか評価を気にしてしまう自分がいたりとか。
こうして書いている間にも同居人がイライラしている。書くという作業は一人のものに見えて、無限の他者との対話かなと思う。そこで、一緒にいたいという人と時間がかぶったら大変だ。
筆を置いた方が良さそうだ。
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