土佐日記からおんなへ/石川和広
 
驚くべきことに土佐日記はおとこがおんなになっておとこのことばを使うしか日常の文学が書けなかったという困難を表している。日本語を使うときそんな歴史があったことを考えるといろんなことがみえてきそうだ。おとこもおんなもこの国の言葉の中ではいろんな困難があって異議があるかもしれないけどそういうややこしさをおとこもおんなもトランスジェンダーも分け持っている。

おんなを主題にいくつか詩を書いたがなかなかピンと来ない。
おんなと言うてもジェンダーというて社会的な性差とか生物学的な女性とか様々な概念があるが、ただ僕の頭に浮かぶ想念のおんなを書きたいのだ。
差別ととられると怖いからこう書いておく。なぜか詩
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