アドルフ・ヒトラー全仕事/がらんどう
 
れ死亡し、画家への道を目指しはじめる。1907年、ウィーン造形美術学校試験を受け、1次試験は合格したものの、二次試験のデッサンでは最低点で不合格。この年の12月21日、母親が死去(享年47)する。
1908年9月画家を再びウィーン美術大学を受験するが、再度不合格。美術大学への入学の夢は完全に閉ざされた。教授に「君には建築家のほうが向いている」と助言を受けて建築コンサルタントや絵葉書描きを営む傍ら、食費を切り詰めてでもオペラ座に通うほどワーグナーに心酔し、このころから役者を志すようになる。
1913年5月、オーストリア・ハンガリー帝国の徴兵を忌避するためドイツのミュンヘンに移り住み、本格的に演劇
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