遠ざかっていく背中/伊藤洋
朝のラッシュにもまれていると
ふと Ck-One のかおりがした
スイングする冷房にのって届いた
ひやりとするあの柑橘は
間違いなく君のものだった
今時つける人も少ないだろうと思って
その人を探そうにも、まわりは人・人・人で
私は冷房の風がスイングするたびに
かすかに届く柑橘のかおりを楽しんだ
「私が死んだらどうする?」
あの夜君の背中に舌をはわせていると、
君は唐突に聞いてきた
君の背中は、昼下がりの真夏の海のように穏やかに波うち
混ざり合う Ck-One と汗のかおりが
南国の豊饒へと、私をいざなった
「背中の骨をもらって、毎日キスをするよ」
電車は駅につき、人がおり、それ以上の人が乗ってきた
この地球には、今60億もの人がいるというのに、
私はこれからもう一度、君のような人と、出会うことができるのだろうか
ようやく扉が閉まり、また冷房の風が来ると
あのかおりは、もうどこかへ行っていた
ふとホームに目をやると、遠い人混みの中に、
もういるはずもない君の、キャミソールを着た背中を見たような気がした
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