「詩」さんは何を求めているのかー「詩と”私”を切り離せ」を読んで/石川和広
か?
そんな人為だけでどうにでもなるものだろうか?
詩人が読まれたがっていても、「詩」さんは一体何を求めて、あるいは求めていないんだろう。
ことばのもつ力を大覚さんはいうが、ここは難しいところだ。ことばは誰のものでもない。
そういう意味で大覚さんのいうとおり「私」性からもっとも程遠い。
ただし無力な私たちは、自分という通路を通してしか「ことば」に触れられない。しかし、「ことば」は「私」を遠く連れ去る瞬間がある。それを僕のやり方では丹念に書いていくしかなかろうと思ってる。
そういう意味で「ことば」という誰のものでもないものに、静かに身をゆだねるとき「詩」は生れてくるのだろう。のん気に聞こえるかもしれないが、そういう方法が一番遠くて近いと思われる。
もちろん大覚さんのやり方もあるし、僕はいろんな方法で「ことば」と自分との関係を探っていきたいと思う。大覚さんの詩には、彼自身の批評にはあらわれない良さもあるかもしれない。
ともかく、詩人は読まれたがっている。そこをつついてて、刺激的である。僕も批評を書く気が起きた。
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