『詩は求められているか?』/窪ワタル
て、最も重要なことは、願ったり、祈ったり、希望を持ったりするだけでは、折角、傾きかけている流れを引き寄せることは出来ないということである。自らを詩人だと自称し、詩の閉塞を憂いている賢明な詩人諸氏ならば、こうした流れに、温かい眼差しを注ぎ、出来るなら、その発展の担い手や、支え手になろうではないか!それが嫌でも、無理でも、せめて、詩のいいお客様にぐらいはなろうではないか!
と、若干演説調になったので、どうやら、そろそろ筆を置く頃合であるらしい。
最後に、詩の市場性について書こうかとおもったが、それは、また、次に譲るとしよう。
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