目視読の勧め/kw
は、彼の長編作品は、読み切りを集めて分厚くしたものだと感じた。
稀に跨った部分もあるが、殆どは一節一節でテーマは変わり、人間関係の変化の激しさも手伝い、同じ「僕」も別の章では別の主人公の「僕」として見ても問題にならない。
文体も、時折辞書の必要な単語が現れるが(多くは彼の培養元、英語)、滞りなく理解できてしまう。
本来の読書とは、筆者の仕掛けた巧妙な罠から真意を読み取ることだろう。
僕の読み方は、紙面の文字列を瞳を借りてマラソンしているだけ。
試行錯誤と時間を用して草稿された諸先生には悪いが、対話は一瞬の言葉の遣り取りで理解するもの。
状況描写も、台詞も、本と会話していると思えば、なぞるだけで良いんじゃないか。
音韻も、黙読も。言葉を受理する、同等な行為なのだから。
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