不確かな存在/チャオ
音なのか。
一日のうちで何人もの人と出会う。何人もの人と別れる。そのたびに次元が歪み、分裂を起こしていたら、次元とはなんと安っぽい理論なのだろう。だが、誰かと話しているときの不確かな存在。何等かな確証は、確かに、次元が分裂するようなエネルギーを感じさせることもある
生命は、常に磨り減り、研磨され、輝きを帯びていく。その輝きは光のようなきらびやかなものではなく、鈍く、妖しげな光に照らされた土のような輝きだ。
人は、過去を見、未来を感じ、他人を感じ、自分を見る。それ以外にも存在を感じ、それは安らぎであったり、恐怖であったりする。人は、自分の感覚を通して、世界と交信する。その情報信じることしかできないのだ。それが命だと思う。未来へ進んでいると信じること、誰かがいると信じること。現実があると信じること。疑いさえも、何かを信じる反動に過ぎない。
人は、仮定の中で信じることを余儀なくされる。
僕は、耳元の幻聴も、不確かな存在も、確認することの出来ない宇宙の彼方も信じるだろう。なぜならば、僕はその感覚を選び取ったからだ。
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