宗教的言説と「媒介」の構造について/atsuchan69
る。しかし、政治や権力と近接したとき、宗教的価値観が秩序維持や調和の名のもとに用いられ、問題を可視化する力を失ってしまう危険がある。
繰り返すが、これは信仰や個々の信者を否定する話ではない。問題は、社会的課題が宗教的・道徳的言説によって個人の内面に押し戻され、構造として検証されなくなることにある。その過程で、善意ある個人が、結果的に問いを中和する役割を担ってしまう現実だ。
私たちが向き合うべきなのは、「誰が正しい人か」「誰が善良か」という問いではない。「どのような語りが、社会的問題を社会の外へ追いやっているのか」という問いである。諭しや美談によって安心する前に、問いそのものが失われていないかを確認する必要がある。
社会が健全であるためには、問いを問いのまま留めておく勇気が必要だ。調和や善意が、問題を覆い隠す道具になっていないかを問い続けること。それは対立を煽る行為ではなく、社会の思考停止を防ぐための最低限の姿勢なのではないだろうか。
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