赤鼻の国語教師/室町 礼
 
施設を運営していました。
それがために非常に貧乏な養護施設で、三食のご飯といえば一番
いいときで月一度のサバの煮物、普段は大根二切れほどの煮物が
夕食に出され、朝と昼はご飯と味噌汁だけでした。
学校(中学校)に行っても図画の時間に絵の具も筆も持っていない
から皆が絵を描いているときには、ただ、黙って座っていました。
それから体育の時間、体操帽を買えないのでいつも帽子を忘れた
ということでもとサッカー選手だという体育の教師から容赦なく
制裁(ピンタ)を受けていました。いまでは生徒へのピンタなど
大問題になるでしょうが戦後の昭和時代にはまだそういうことが
行われており、わたしは少々
[次のページ]
戻る   Point(2)