赤鼻の国語教師/室町 礼
 
わたしは戦後生まれの団塊世代です。
戦争の爪あとが残る京都市内で生まれ両親は貧困に打ち砕かれて
わたしを京都の孤児養護施設に預けました。
その後、両親とは会っていないので記憶にあるのはとにかく
その施設に捨て置かれてゆくときに泣きじゃくったことだけです。
大声で泣いてわめいて置いていかないでと両腕を抑えられながら
必死で振り払ってすがりつこうと泣き喚いた記憶だけ
が今も残っています。
その孤児養護施設では女の子も含めて五十人ほどの子を
もと警察官の九州出身の僧侶が私費で面倒みていました。少しは
市から補助金が出ていたかもしれませんが基本的に個人の財産を
投げうって孤児養護施設
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