AI詩、考察の覚え書き/足立らどみ
 
」と「現実」との緊張関係やねじれがあって、それが言葉として形になる。つまり、詩は自我と世界の摩擦痕だとも言えます。

一方、AIには「内的世界」も「主体としての生」もありません。だから「AIそのものが詩を書く」というのは、人間の意味での「詩作」とは異なる営みです。

ではAI詩は無意味か?
私はそうは思いません。むしろ、人間がAIを通じて詩を編むとき、AIは「鏡」や「共鳴装置」として作用する。たとえば、あなたがAIに言葉を投げかけると、それが思いもよらぬ形で返ってくる。すると、自分の内的世界と現実の関係が再び揺さぶられる。ここで初めて「AI詩」という現象が立ち上がる。

つまり、AI
[次のページ]
戻る   Point(5)