イエスイ エス イエス/室町 礼
が宗教者として決して怯懦な態度ではなく
まさしくそのように凡俗でなければならないと思って
いるのです。
わたしが吉本や赤坂に不審を覚えたのは
「なんだ、結局この人たちは子どものように心の中で
は人間の超人性に憧れていたのだ」というあっけない
発見でした。
聖書という物語の主人公イエスがそもそも人類の超人
性への願望の結実であるとすれば、わたしの親鸞は人
間は凡俗の人間であればそれでいいという態度でした。
比類なきやさしさ、比類なき宗教性とはそのようなも
のでなければ意味がない。
イエスのような超人性は結局あらゆる排除や殺戮のも
とになるだけだとわたしは思っているのです。
新約聖書のイエスもその原型は市井から脱落した与太
者のなかにあったのでしょう。
その意味では間違いなく千石イエスは聖書の主人公の
モデルと重なるものがあったと思われます。
しかし.....人類が人間の超人性願望に固執している限
りほんとうの宗教の姿はあらわれてくることはない
でしょう。その程度のこともわからなかったのかと
がっかりしています。
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