自我の定立と詩?/大町綾音
 
と、先ず、知覚感覚があり、その後で思考がある、と。

確かに、いわば微分的に思考を観察して行けば、知覚なんですよ!思考も。だから僕は、直観的(に体験される)思考、とわざわざ言ってるわけで。

精神世界なるもの、思考そのものノ体験から始まる、ってのは、こういうプロセス踏んだ上なんです。(思考活動・即・知覚 でしょ!?)

知覚、と言ってるのは、感覚的だけだと、思考・感情・意志という魂を観察する際に感覚的とは、生理学的に言えないからです。

◯ラッセルから始まる分析哲学なるものにしても、現象主義や実存主義にしても、やっぱり平面次元の意識で思考してるんですよね、僕の観取としては。


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